幸せと感じる基準は徹底的に低くする。自分がどんだけ恵まれているか、忘れてない?

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幸せですか?と聞かれて、「はい」と即座に答えられる人はどのくらいいるんでしょう?普通の日本人なら、そう聞かれたら「いや~幸せではないですね」という人が多いでしょう。

もったいないなぁ、と思います。 

日本人は幸せじゃないらしい

幸福度、という基準があります。世界の幸福度ランキングを国連が報告しています。

2015年度版世界の幸福度ランキング、1位はスイス、日本は46位 : カラパイア

世界でも指折りの経済大国で、生活レベルから言ったら明らかに最高クラスの日本は、幸福度で言うと46位です。

なんででしょうか?

幸せ基準が高すぎる

「これ以上だったら私は幸せ」、という幸せの基準が高すぎるからです。

日本ではテレビや雑誌では頻繁に「セレブのお宅訪問!」とか一握りの裕福な人の暮らしを見ることが出来ます。それを見て、いつの間にか無意識に「あんなに豪華な暮らしをしている人がいるのに、自分はこんな低いレベルの暮らしをしている」と幸せの基準が高くなってしまいます。

それに比べて後進国と呼ばれる貧しい国には、人をうらやむような余裕はありません。貧しいのは当たり前です。苦しいこともあるでしょうが、それが当たり前だと思っているし、不幸だと嘆くこともありません。つまり幸せの基準が低いわけです。

幸せの基準が低ければ、幸せを感じやすいし、逆に高ければ、幸せを感じることは少なくなります。今の日本もその状態ではないでしょうか。

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こんな偉そうなことを言えるのも、自分がまさにその経験をしたからです。

移動して幸せ

20歳のとき、バイク事故で寝たきりとなりました。一日の移動は車椅子でリハビリ室へ行き返りするだけとなり、自由に病院内を移動することさえ出来ませんでした。

リハビリが進んで、車椅子で売店のフロアまで行けただけでも嬉しかったです。お菓子を買えました。嬉しかったです。言ってしまえば単に「移動しただけ」「買い物しただけ」なんですが、すんごい幸せを感じましたね。

その後、まだ足が不自由ながら、退院できました。

自転車で幸せ

バイクには乗れませんでしたが、大学への移動用に自転車を買ってもらいました。「自転車に乗った」ときの感動は未だに忘れません。自転車に初めて乗れたときよりも感動は大きいです。20歳が自転車に乗ってニヤニヤしているのは、相当気色悪かったと思いますw

「フロア移動したこと」「自転車に乗ること」、普通の人からすると二つとも大したことないことですが、感動出来たのは、僕の幸せの基準が低くなっていたからです。

このように幸せの基準を低くできれば、「朝起きれたこと」「ご飯を食べること」「眠れること」などなど、日常の全ての行動で幸せになれたら、良いと思うんです。

一番簡単に味わいたいなら、断食をすることです。一週間の断食後の素うどん。どう感じるでしょうか。

他人から提供された基準で生きるのか?自分自身の観点で生きるのか?ぜひ考えてみてください。
 

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